Napsterで対立してCEOを追われたBMGのゼルニック

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先日、下記の記事を書きながらある人物のことを思い出した。ストラウス・ゼルニックという名前で、2001年10月に日本コロムビアの会長となった人である。2000年10月まで米国のBMGエンタテインメントの社長兼CEOであったが、親会社の独ベルテルスマンのトップであるトーマス・ミッデルホフに首にされた人物である。トーマス・ミッデルホフはNapsterを買収しようとしていたが、ストラウス・ゼルニックがそれに強く反対したのが首になった原因らしい。

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ルディ・ガスナーとジャック松村、そしてその二人の陰にいたストラウス・ゼルニック

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5,000万ドルを10億ドルにしたミッドルホフ

ストラウス・ゼルニックは、1957年生まれで現在の年齢は59歳。ハーバード・ビジネス・スクールを卒業して1989年に32歳で米20世紀FOX社の社長兼CEOとなり、1994年にBMGエンタテインメントの北米担当のトップとなった。北米担当とは、RCAやアリスタなどのレーベルのほか、北米地域のディストリビューションを受け持っていた。着任早々から贅肉のそぎ落としに取り掛かり、コストを削減することで利益体質の大幅な改善に成功した。その功績が認められ、1998にはBMGエンタテインメントのトップに躍り出た。一方のトーマス・ミッドルホフは1994年にベルテルスマンに入社し、マリチメディア部門の責任者についた。当時、まだ小さな会社であったAOLに目をつけ、5,000万ドルの投資を行った。数年後のAOLの上場によってそれは20倍の10億ドルとなり、同じ1998年にBMGエンタテインメントの親会社であるベルテルスマンの会長兼CEOに駆け上がることになった。

二人のCEOと同時に誕生したNapster

ストラウスゼルニックがBMGエンタテインメント、トーマス・ミッドルホフがベルテルスマンのCEOとなった1998年、米ノース・イースタン大学の学生だったショーン・ファニングが開発したのがNapsterであった。Napsterは1999年1月に発表されたが、瞬く間に全米の大学に広まり、すぐさま大学外でもユーザーを増加させた。1999年には全米レコード協会(RIAA)がNapsterを提訴し、2002年の11月までNapster関連の訴訟合戦が戦われることになった。その構図を複雑化したのは、他ならぬベルテルスマンのトーマスーミッドルホフであった。傘下のBMGエンタテインメントが提訴する側に立つ一方、ベルテルスマンはNapsterに資金提供して提携することを2000年10月に発表した。その1週間後、ストラウス・ゼルニックは解雇された。

後任の社長がドイツで急死

ストラウス・ゼルニックの後任は、BMGエンタテインメントのインターナショナル部門のトップであったルディ・ガスナーが予定されていた。しかし、彼は年末も押し迫った12月23日、バケーションデで帰省していたドイツのアパートで急死したのであった。ルディ・ガスナーはベルテルスマンがBMGを設立した当初からインターナショナル部門を任せられており、後から入社してきたストラウス・ゼルニックに追い越されていた。生まれたのは1942年であることから、享年は58歳・・・・ストラウス・ゼルニックより15歳も年上であった。BMGが発足して13年、ようやくそのトップに上り詰める直前の劇的な出来事であった。一方のストラウス・ゼルニックは、翌2001年1月にゼルニックメディア社を設立し、自らが社長兼CEOとなっている。

社長になって1年弱で急死

2001年5月にリップルウッドによる日本コロムビアノア買収が発表され、10月1付けでストラウス・ゼルニックが代表取締役会長となることが明らかにされた。但し、その時点では社長は未定となっていた。しかし、6月頃にはBMGファンハウスの副社長であったジャック松村の名前が噂に上がっていた。当時はBMGファンハウスの次期社長にも内定していたが、本人からは受諾の明確な意思表示がなされていなかった。結果的に日本コロムビアの社長兼CEOとなるのだが、その彼は翌年8月に心不全で急死することになる。こちらは社長に就任して約1年後であるが、BMG、ゼルニックがらみで急死という話が続くことになった。

リストラ上手のハーバード・ビジネス・スクール出身者

ストラウス・ゼルニック本人は急死には関係なく、今でも元気で活躍しているようである。現在はテイクツー・インタラクティブというゲーム関連企業のCEOをやっているらしい。しかし、20世紀フォックス⇒BMGエンタテインメント⇒日本コロムビア⇒テイクツーと名前だけを見ていると、先に書いた記事のハーバード・ビジネス・スクール出身者と姿が重なってくる。彼もリストラは得意であったが、クリエイティブな事業を推進するのは不得意であった。ストラウス・ゼルニックもBMGエンタテインメント在籍時からクリエイティブな事業に向いていないといわれており、不採算(と彼が思う)部門の切捨てだけで業績を上げてきたのだった。

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