東芝EMIの元社長がネットワークビジネスのトップに!!

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今はもうなくなってしまったが、東芝EMIという会社がかつて存在していた。その最後に社長だった人・・・ここではTOEMI氏と呼ぶことにする・・・はマイクロソフトの副社長に栄転(?)したのだが、2011年に米国の化粧品通販の会社に左遷(?)されてからあまり噂を聞かなくなった。チョット気になったのでネットで調べてみると・・・健康食品をネットワークビジネスで売る企業の社長になっていた。

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MBA取得後25年間で約10社を渡り歩く・・・行き着いた先がネットワークビジネス企業

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Network Business Image

東芝EMIは1960年設立の大手レコード会社

東芝EMIという会社の前身は、東芝音楽工業という硬い名前のレコード会社であった。設立は1960年であり、TOEMI氏が社長になった2005年は創立して45年も経っていたことになる。当初は東芝の全額出資であったが、1973年に英国EMIの資本が入り、社名を東芝EMIに変更した。その後、1994年には英EMIの資本が55%に増加したが、経営の主導権は東芝が握ったままであった。それが大きく変わったのは、TOEMI氏が東芝EMIに入った2005年のことであった。TOEMI氏は、2004年までは同じ外資系のBMGファンハウスの副社長であった。BMGファンハウスは2004年末に何度目かのリストラを行っており、TOEMI氏もその中に入っているとされていた。

売上高が5倍以上のレコード会社のTopに就任

それが急転直下、BMGファンハウスより遥かに格上の東芝EMIになるという人事は、多くの業界人を驚かすものであった。しかし、TOEMI氏のBMG本体の上役にA氏という外人がいたが、彼はもともとポリグラムに在籍していた。当時の同僚にB氏がいたが、この時B氏は英EMIのアジア担当役員であった。つまり、A氏がB氏にかけあってTOEMI氏を東芝EMIに押し込んだのではなかろうか。A氏は一度BMGファンハウスを辞めて出て行ったTOEMI氏を1年半後にまた受け入れており、TOEMI氏をリストラで追い出すことは考えられない。ともあれ、BMGファンハウスでは最高位が副社長でしかなかったが、売上高が5倍以上もある会社のTopを射止めたのであった。

新社長とそりが合わずにベンチャーキャピタルに転出

TOEMI氏は1958年10月10日生まれであり、BMGファンハウスに取締役として入ってきたのは1998年10月の40歳の時であった。1990年にハーバードのビジネススクールでMBAを取得し、米ソニーを経て1997年1月に米BMGに入社した。BMGファンハウスでは1998年4月に政変があり、当時の日本人社長が実権を失って替わりに前出の外国人A氏が全権を掌握することとなった。前社長派の役員は一掃され、替わりに登場したのがTOEMI氏だった。しかし、その後1998年11月にA氏に選任されたT社長とそりが合わず、2000年4月にはBMGファンハウスを辞めて米系ベンチャーキャピタルの社長で転出した。その1年半後の2001年11月、彼は副社長としてまたBMGファンハウスに戻ってくるのである。

二人の副社長がRCAとファンハウスのビジネスを主導

TOEMI氏が辞めた2000年4月当時、T社長の下に二人の副社長が置かれていた。ファンハウスを担当していたN氏とRCAを担当していたM氏だが、この二人でBMGファンハウスの売上の大半を稼いでいた。TOEMI氏は当初は特販と営業部門を担当したが、途中で営業部門担当は外されてしまった。その後は新規事業のオンラインビジネスだけが実質的な担当となり、2000年4月のベンチャーキャピタルへの転出につながっていく。2001年に入り、副社長の一人であったM氏が社長に昇格するという話が持ち上がり、またN氏も独立して新しいレコード会社を立ち上げるという動きが出てきた。N氏の新レコード会社立ち上げは6月には実現し、多くのファンハウス出身者と共にN氏はBMGファンハウスを後にした。

次の社長就任を期待してBMGファンハウスに復帰

新社長候補となったM氏だが、同時にリップルウッドが経営権を握った日本コロムビアの社長にも誘われていた。M氏はコロムビアを選択して2001年10月1付けで代表取締役CEOに就任することになるが、BMGファンハウスは社長の後任候補と同時に二人の副社長を失ってしまった。その穴を埋めたのが、TOEMI氏だったのである。TOEMI氏は、2001年11月にBMGファンハウスに副社長として戻ってきたのだ。そして約3年間、社長の座を明け渡さないT社長の下で副社長を続けることになった。そしてBMGファンハウスの2度目の退任を2004年12月31日に行い、翌2005年1月1日に東芝EMIに入社、そして同月27日に取締役社長、6月30日に代表取締役兼CEOに就任した。

3年半で東芝EMIの解体を完了した

TOEMI氏が東芝EMIの社長であったのは、2005年1月から2008年6月までの3年半。その間、2006年に御殿場にあったCD工場を売却し、450人の社員を200人にする大幅なリストラを断行した。そして翌2007年6月、東芝の資本がなくなると同時に社名をEMIミュージックジャパンに変更。翌2008年2月には溜池にあった本社社屋も売却し、最後に残った東芝色を一掃した。そしてその年の7月、マイクロソフトの副社長として転出したのである。TOEMI氏とマイクロソフトの接点は何か・・・・それは簡単に見つかった。ハーバードのビジネススクールで取得したMBAであった。

RIAJ理事再選の直後に社長辞任と副社長就任を発表

2008年当時のマイクロソフトの代表執行役CEOは、誰もが知っているYH氏である。YH氏は1991年6月にハーバードビジネススクールを卒業しており、一方のTOEMI氏の卒年は1990年である。YH氏の生年は1957年11月28日であることから、TOEMI氏より1歳上となる。ほぼ同年代であり、しかもハーバードビジネススクールに同時期に在学していた。同学年ではないことから、一緒に授業を受けた訳ではないだろう。しかし、同窓であることがTOEMI氏を副社長に迎えた最大の理由であることは間違いない。但し、同年5月30日(金)に行われたRIAJの総会では理事として再選されており、週明けの6月2日(月)には辞任とマイクロソフト副社長への就任が同時に発表された。ヘッドハンティングか自分で押し売り下のかは知らないが、かなり急な展開であったことは間違いない。

ネットワークビジネス企業間で異動

2008年7月から1期3年を副社長として勤め、2011年には米国の化粧品通販の会社の代表取締役社長となった。それを当時のHPで確認できたが、おかしなことに半年ほどしてもう一度見てみると、代表取締役社長の名前が外人に変わっていた。その会社の現在の社長も外人だが、そのときの人物と同じかは分からない。また、TOEMI氏がどうなったかも分からないが、一つだけ明らかなのは、彼が翌年の2012年にはニュースキンジャパンという会社のバイスプレジデントであったことだ。そして2015年1月には、彼は日本シャクリーという会社の代表執行役として働いている。ニュースキンジャパンという会社はネットワークビジネスでは5番手に入る大手であり、日本シャクリーは15番手ほどの企業のようだ。

まともな商売とは思えないネットワークビジネス

ネットワークビジネスというのは、当初はインターネット通販のことかと思った。しかし、実際はMLM(Multi Level Marketing)という手法を使ったビジネス・・・所謂マルチ商法と呼ばれているものである。マルチ商法は違法ではないが、日本では『悪徳マルチ』や『マルチまがい』などという使われ方が一般的で違法な商売というイメージが強い。そこでそのイメージを払拭するため、ネットワークビジネスという名前が使われているようである。また、本来は『ネットワーク=人脈』という意味合いが強かったが、実際の人のつながりではなくインターネットを利用することで『ネットワーク=インターネット』にかけているようである。いずれにせよモノを売ることが目的ではなく、手下となる販売員を増やすことが目的となるのがネットワークビジネスらしい。米国ではともかく、日本ではあまりまともな商売とは思えない。

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